戦争の歴史を知り語り伝えるために|戦後80年メモリアルウォーク宮城

戦後80年の今年(2025年)、仙台市内の戦跡を訪ね歩き、平和の大切さを伝え広めようと、11月3日に「戦後80年 メモリアルウォーク」を開催し、12名が参加しました。
集合は宮城野区の榴岡(つつじがおか)公園。明治8(1875)年から旧陸軍歩兵第四連隊兵舎として約70年使用され、公園内には多くの碑が残されています。兵舎1棟を移築、復元したのが現在の仙台市歴史民俗資料館です。
宮城県歴史教育者協議会の熊谷富代子さんの案内で、はじめに彫刻家・佐藤忠良制作の「ブーツの娘」を見学。1947年に世界初の民間ユネスコ組織が仙台で発足し、1984年に第1回民間ユネスコ運動世界大会が開催されたことから設置。仙台の少女の顔はパリの方向を、パリ本部にあるもうひとつの少女像は仙台の方向を向いているそう。
次に「朝鮮戦役の碑」へ。明治17(1884)年、朝鮮で起きた甲申事変で第四連隊が初めて海外へ出兵、その際戦死した兵を称えるための大きな石碑です。国のために勇敢に戦った末の戦死を遺族にも名誉と思わせ、軍事力で海外に勢力を拡大する国の施策を容認させる意図と思われる、とのこと。
噴水広場から少し下には、第四連隊長も務めた「石原莞爾(いしわらかんじ)の碑」が。『帝国陸軍の天才・異端児』と呼ばれ、満州事変の首謀者でありながら戦後の東京裁判では有罪をまぬがれた人物です。
歴史民俗資料館の展示物を見学後は、1945年7月10日未明、仙台のまちを火の海にした「仙台空襲」の『爆撃中心点』へ。中心点近くの展示プレートとその説明を見て、この地に123機ものB29爆撃機が次々と焼夷弾を落とした過去に思いを巡らせました。
15分程歩いて仙台市戦災復興記念館へ。今年初めて公開された、総延長200mもある国内最大規模の防空壕の写真や、仙台空襲体験者の証言ビデオを鑑賞。昼食後は、広瀬川を渡り、第二師団の司令部など軍の中枢があった川内(かわうち)地域へ。現在の美術館、国際センター、東北大学川内キャンパス、追廻(おいまわし)地域など、広範な範囲に存在した軍の施設や役割などについて説明を受けました。
最後に軍馬や軍用伝書鳩、軍犬など動物を慰霊する「満州事変軍馬戦没の碑」と「軍馬軍用動物彰忠塔」へ。軍需物資を運搬する馬は、貴重な戦力として大切にされましたが、主に中国の戦地に出兵した39万頭といわれる軍馬、軍用動物は一頭一羽も戻ってこなかったそうです。
参加者からは、「戦争が身近なところであったことがわかった」「今までは石碑などを見ても通り過ぎるだけだったが、今日勉強したことを伝えていきたい」「子どもや若い人に知ってほしい」などの感想が出されました。歴史を知り、そして語り継ぐことの大切さを改めて感じた有意義な一日でした。








