全国スポーツ祭典の歴史

全国スポーツ祭典(第8回までは全国青年スポーツ祭典)は、新日本スポーツ連盟が創立される以前から開催され、「スポーツ きみが主人公」「スポーツは平和とともに」などのスローガンのもと、「だれもが参加できる国民に開かれたスポーツの祭典」として現在まで続いています。

第1回全国青年スポーツ祭典 

1963年6月30日 神奈川
60,000人(観客を含む)
わが国で初めて、自主的な国民の手によるスポーツ祭典が始まった1963年6月30日。この日は、わが国のスポーツの歴史に新しい1ページを刻みこんだ、記念すべき日となった。晴れあがった空にファンファーレが響きわたり、33都道府県代表による大パレードが開始された。

第2回全国青年スポーツ祭典 

1964年10月24・25日 東京
20,000人(観客を含む)
東京オリンピックの年、その閉会式の翌日に、「いつでも、どこでも、だれでもがスポーツを」を合言葉に第2回祭典は開かれた。この祭典の成功は、新たな国民スポーツの展望をしめし、スポーツ祭典運動は、職場、地域、学園の自主的なスポーツ運動をはげました。

第3回全国青年スポーツ祭典 

1965年11月12・13・14日 東京
43,000人(観客を含む)
自主的スポーツ活動が前進してくるなかで、自分たちのスポーツ組織をつくろうという気運がもりあがってきた。祭典中、「体育・スポーツが少数のひとの独占物であった時代は過ぎました。それは万人の権利でなければなりません」と宣言し、新日本体育連盟が結成された。

第4回全国青年スポーツ祭典 

1966年10月15日・16日・17日 東京
20,000人(観客を含む)
第4回祭典は、バスケットボール等の種目を加え、人文字、マスゲーム、パレード等に工夫をこらした。これらの競技、演技を成功させるために企画進行、競技運営等の各委員会を強化して、全体として質的発展を保証する体制をとってとりくまれた。

第5回全国青年スポーツ祭典 

1967年11月12日 京都
20,000人(観客を含む)
初めて東京をはなれ、京都で開催された。現地のスポーツ祭典実行委員会には、260余りの団体が参加した。この年、第1回全国勤労者野球大会、勤労者空手道選手権大会が、祭典の一環として開催された。

第6回全国青年スポーツ祭典 

1968年11月9・10日 東京
20,000人(観客を含む)
再び東京にもどった祭典は、マスゲームにつつまれるとともに競技水準も向上し、スポーツ大会としての性格も確かなものとなってきた。

第7回全国青年スポーツ祭典 

1969年10月26~11月25日 東京・大阪
この年は種目別大会となった。これは、今日の種目別競技大会を各地で開催する、原動力ともなった、長野、東京、愛知、京都、大阪、神奈川で開催された。

第8回全国青年スポーツ祭典 

1970年10月13・14・15日 大阪
16,000人(観客を含む)
“府民ぐるみのスポーツ祭典”を合言葉に、地区、府、全国祭典の結合が重視された。休暇をとって申し入れにまわる実行委員をはじめ、昼休みを利用して町工場やオフィス街に申し入れに歩くという、創意が発揮された。

第9回全国スポーツ祭典 

1972年11月3・4日 東京
2,000人(選手・審判・役員数)
名実ともに国民のスポーツ大会へと成長し脱皮するために、名称から”青年”をはずした。スローガンもスポーツ大会にふさわしいものとなり、新体連と実行委員会との共催形式となった。  当日は、”都民スポーツ・デー”が設けられた。

第10回全国スポーツ祭典 

1974年11月3・4日 東京
3,000人(選手・審判・役員数)
この祭典では競技水準の向上が重視された。  ”暁の超特急”としてならした往年の短距離選手、吉岡隆徳氏が100メートル決勝のスターターをつとめた。同時に地域祭典はかつてなく広がり、全国約200ヶ所で開催された。

第11回全国スポーツ祭典 

1976年11月2・3日 東京
2,490人(選手・審判・役員数)
祭典は新たにサッカー、ラグビー等も加わり、前回にひきつづき総合スポーツ大会として発展した。また、各地からスポーツ要求署名がもち寄られ、期間中に文部省へ提出した。”友情と連帯のつどい”では、団体体操の演技などが行われた。

第12回全国スポーツ祭典 

1978年11月1・2・3日 東京
3,169人(選手・審判・役員数)
祭典は、国民各層のスポーツ要求に積極的にこたえるとの趣旨から、陸上競技、水泳に標準記録を採用。陸上では3,000mをオープン種目として実施。スポーツ関係者の賛同と輪がひろがり、競技役員への協力が強まった。

第13回全国スポーツ祭典 

1980年11月1・2・3日 東京
3,731人(選手・審判・役員数)
[スポーツ きみが主人公」のスローガンのもと15正競技種目、陸上3,000mオープン、水泳マスターズ大会、卓球壮年の部を実施。選手、役員が参加し「友情と交歓の夕べ」が日本青年館で行われた。

第14回全国スポーツ祭典 

1982年11月12・14日 東京
3,375人(選手・審判・役員数)
「スポーツは平和とともに」「スポーツ、きみが主人公」の祭典スローガンをかかげ、14種目で実施、年齢別水泳大会を開催。祭典の一環として「スポーツフォーラム」が行われた。

第15回全国スポーツ祭典 

1984年11月17・18日 神奈川
4,090人(選手・審判・役員数)
従来の祭典スローガン「スポーツ、きみが主人公」、「スポーツは平和とともに」に加え、新たに「スポーツの民主的発展の共同を」をかかげ13種目で開催。  神奈川での開催は第1回祭典以来であり、また第8回の大阪以来の地方開催として成功した。参加選手3,536名、役員554名。

第16回全国スポーツ祭典 

1986年11月1・2・3日 東京
4,100人(選手・審判・役員数)
31都道府県からの、予選延べ参加は10万人。  3,500名の選手と約600名の役員が参加。卓球では元世界チャンピオン河野満氏によるアドバイスコーナーが好評を博し、東京都ソフトボール協会、日本卓球協会から大会審判の協力を得て、協力共同が広がった。

第17回全国スポーツ祭典 

1988年11月12・13日 東京
4,235人(選手・審判・役員数)
開催準備中に昭和天皇の病状悪化と関連して「自粛」の動きのあるもとで、新体連は「天皇と全国スポーツ祭典」の談話を発表し、予定通り実施し歓迎された。参加選手は3,500名、役員は735名であった。

第18回全国スポーツ祭典 

1990年11月3・4日 大阪・兵庫 10・11日 京都・滋賀
4,026人(選手・審判・役員数)
70年の第8回以来の関西開催で、大阪・兵庫・京都・滋賀の各連盟の奮闘で、関西ブロックの共同事業として開催し成功した。祭典週間行事として大阪で「スポーツで生きる力を 子供のスポーツ活動の功罪」を開催。

第19回全国スポーツ祭典 

1992年11月14・15日 東京・神奈川・埼玉
4,800人(選手・審判・役員数)
フェアプレイの発展を!の呼び掛けに佐藤満氏〈レスリング、ソウル五輪メダリスト)はじめ著名なスポーツマンの賛同と参加者の共感のひろがり、4,100人の選手、700人の役員が参加し、72年以来最大規模の祭典となる。

第20回全国スポーツ祭典 

1994年11月12・13日 大阪・兵庫・京都・滋賀・和歌山
4,363人(選手・審判・役員数)
「みんな好きやねん フェアプレー」のスローガンをかかげ、大阪を中心に、関西ブロックの協力のもとで開催。著名なスポーツマンの賛同が広がった。12競技に26都道府県から、4,363人の選手・役員が参加。地方開催では最大規模となった。

第21回全国スポーツ祭典 

1996年11月16・17日 東京
5,645人(選手・審判・役員数)
「フェアプレイにチャレンジ」「選手が主人公」のスローガンをかかげ開催。スポーツ連盟が主催するようになった1974年の第10回以来最大の規模となった。地域予選への出場選手も6万人をこえ、競技においてもテニス、軟式野球、卓球などでレベルの高い熱戦が展開された。

第22回全国スポーツ祭典 

1998年11月3~22日 愛知・岐阜・静岡・三重
5,085人(選手・審判・役員数)
「輝くスポーツ フェアプレー」をメインスローガンに祭典史上初めて東海ブロックで開催。地方祭典への参加者は62,734人となり、その広がりが各競技種目の競技水準、大会運営水準の向上に反映し、自主的クラブを結集する大きな要因となってきた。

第23回全国スポーツ祭典 

2000年10 月~11月大阪・京都・兵庫・和歌山・滋賀
5,072人(選手・審判・役員数)
「21世紀、花咲けスポーツ文化」「光ってるやん、フェアプレー」をスローガンに、全国祭典、地方予選とも多面的な前進をつくることができた。滋賀県も含めすべての開催府県、教育委員会の後援を受けることができた。

第24回全国スポーツ祭典 

2002年10月~11月東京・千葉・埼玉・神奈川
5,154人(選手数)
21世紀の祭典にふさわしく36都道府県5,154人が参加。経済不況のもとでも約1000人増の祭典となった。祭典を契機に千葉県で初めて自治体後援が実現。スローガンは「はじける笑顔 スポーツが好き!」。

第25回全国スポーツ祭典 

2004年10月~11月宮城・愛知・東京・長野
3954人(スキー含む)
「たのしむっちゃ スポーツを!」のスローガンのもと、初めて東北で開催。主管地宮城県連盟の奮闘と全国種目組織の共同、各都道府県連盟の選手団派遣により35都道府県から出場。卓球の東北全県での予選開催、テニスで日本ランク60位台選手の出場などもあった。

第26回全国スポーツ祭典 

2006年10月~2007年3月愛知・静岡・三重・岐阜・東京・・滋賀・宮城・長野
5530人
「ひろげよう、つなげよう、みんなのスポーツ!」のスローガンのもと、39都道府県5530人(スキー含む)の選手が参加。初めて後援申請を行った静岡・三重も含め4県全てで自治体の後援・知事メッセージを得た。新たなにミックスバレー、ウォーキングなどにチャレンジ。

第27回全国スポーツ祭典 

2008年10月~2009年3月 滋賀・京都・大阪・兵庫・和歌山・愛知・静岡・東京・徳島・長野
6437人(スキー含む)
「スポーツの未来を開くフェアプレイ」のスローガンのもと、15競技・種目に39都道府県から選手・チームが出場。特に、卓球、陸上、ウォーキングの参加者が増える。競技レベルも向上し、クラブ・チーム・選手から目標とされる大会となった。

第28回全国スポーツ祭典

2010年10月~2011年3月 東京・埼玉・千葉・神奈川・静岡・長野
16,072人
「フェアプレイでスポーツ文化の花咲かそう!」のスローガンのもと、8年ぶりに関東エリアでの開催。以前は、東京都から135万円の補助金があったが、「成熟した活動」「東京だけの開催ではない」という理由でなくなる。出場選手数は、史上最高を記録。

第29回全国スポーツ祭典 

2012年7月~2013年3月 岩手・宮城・東京・静岡・愛知・岐阜・大阪・和歌山・徳島
7,228人
「深めよう絆!スポーツは生きる力」のスローガンのもと、全国各地での分散開催をよびかけ、震災復興支援の祭典と位置付けて実施。被災地の参加選手を支援するため、記念グッズの販売を大々的にとりくむなど、復興支援の祭典にふさわしいものとなりました。

第30回全国スポーツ祭典 

2014年8月~2015年3月 静岡・愛知・岐阜・三重・長野・京都・宮城・千葉
7,016人
「スポーツ 絆と平和 フェアプレイ」のスローガンのもと、東海ブロックを中心に、前回に引き続き、震災復興支援の祭典と位置付けました。一般のスポーツ愛好者からハイレベルの選手・チームまで、幅広く門戸を開いた大会になり、競技を通して絆を深める大会になりました。

第31回全国スポーツ祭典

2016年「第31回全国スポーツ祭典」は関西ブロック主管で、陸上競技、水泳、バレーボール、ミックスバレーボール、卓球、バドミントン、テニス、サッカー、ソフトボール、軟式野球、バスケットボール、ゴルフ、スキー、ウォーキングの14種目を実施。前回にひきつづき、東北復興支援スポーツ祭典として取り組みました。スローガンは「好きやねん!スポーツの絆と平和!」。

第32回全国スポーツ祭典

2018年「第32回全国スポーツ祭典」は東北ブロック主管で、陸上競技、水泳、バレーボール、ミックスバレーボール、卓球、バドミントン、テニス、サッカー、ソフトボール、軟式野球、バスケットボール、ゴルフ、スキー、ウォーキング、ハイキング、空手の16競技種目で行われる総合競技大会として実施されました。スローガンは「東北発 広げよう スポーツの輪」。

第33回全国スポーツ祭典

「第33回全国スポーツ祭典」(2020-21年) は関東ブロック(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)主管で、16競技種目の総合競技大会として実施される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響により中止となりました。