サイト内検索
連盟NEWS
「見えないライバル」を追いかけて~ツール・ド・ペイ・ド・コー2013
文=北出祥夫(大阪ランニングセンター・泉北ランニングクラブ)

CIMG1233.jpg 私自身この大会に参加するのは、96年、97年に続いて3度目になります。私が思うこの大会の魅力は、4日間で6レースが行われること、2日目と3日目は午前と午後の2回に分けてレースが行われること、レース会場がすべて違うこと、距離の配分が微妙で勝負の駆け引きを楽しめること、大会中は各国の代表チームが同じ宿舎で寝食を共にすること、年代別で表彰されること、そして賞金レースであること、レースの合間に外国の方々と交流ができること(ただし、仏語・英語が少し喋れることが必要)などです。

 大会の舞台は、フランス北西部のノルマンディ地方のコー(Pays de Caux)と呼ばれる地域。酪農の盛んなところで牧草地帯が広がっています。またこの時期は、菜の花畑の黄色と牧草の緑の調和が見事でした。

はじめは楽しく走るつもりだったのが..

CIMG1091.jpg 5月8日、15時30分、宿舎から車で20分ほど離れたドゥードヴィルで13・8㎞の第1ステージが始まりました。スタート・ゴール地点は町の中心で賑やかですが、100mも離れると牧草地帯で応援してくれるのは牛や馬、羊でした。上位を狙う者にとって、このステージのポイントは8割の力で走り、ライバルとなる選手を見つけることです。私は、3月から左足アキレス腱の調子が悪く、今回は「楽しく走れたらOK」と思っていました。ところが、たまたま女性のトップ選手と肩を並べて走ることになり、男性の本能として女性には負けられないので、後半頑張り58分21秒で総合30位、50歳代の部4位でゴールしました。当面の目標は、年代別3位のゼッケン175番の選手です。

 ゴール後は、そのステージの表彰式が行われ、アルコールや軽食が用意されています。私も含め日本チームも1回走ったので緊張も解け、外国選手に負けず劣らずビールやワインを飲んでいました。

年代別2位に浮上し欲が出てきた

CIMG1200.jpg 9日、9時30分よりアルヴィルベルフォスでの第2ステージ(20・8㎞)がスタート。実力が試されるステージで、今後の駆け引きに大きな意味があります。私は175番の選手をマークしようとするのですが、数百人の中から見つけるのは至難の技で、逆に、日本代表の私は、絶えず「ヨシオ・キタデ・ジャポン」と場内アナウンスがあり、どこを走っているか丸わかりの状態でした。

 結果は1時間29分16秒で年代別4位のままでした。トップ選手は、マッサージを受け次のステージに備え、ベルギーチームは宿舎の前を流れている川に入り、アイシングをしていました。日本チームは洗濯をしていました。

 午後5時から第3ステージ(10㎞)のスタートです。前半は無理をせず、360度どこを見渡しても草原のコースを、「見えないライバル」を相手に頑張っていました。ラスト3㎞で親しくなったルーマニアの選手と競り合い、タイムも上がり40分17秒でゴール。年代別で2位に浮上しました。

 2日目を終えて、年代別2位なので正直、色気も出てきました、15年前に参加した時は、40歳代の部で3位になっているので、今回もあわよくば賞金をゲットと欲も出てきて、変な緊張感が出てきました。が、この夜もワインを1本空けました。

追いかけていたライバルとゴール後に握手

 大会3日目、雨で寒い朝を迎えました。ノルマンディの天候はコロコロ変わるので、服装の準備が大変でした。

131113231321.jpg この日、午前中のレースは、集団ではなく2日間の合計タイムで遅い人から30秒毎に一人ずつ順番でスタートします。ここで初めて、私のライバルの175番と顔を合わせることができました。私の30秒前にスタートするのでこの選手を追うことになります。距離が8・5㎞と短いので差が縮まらず、34分11秒で175番もほぼ同タイムでゴールしました。でもお互いにライバルとして意識しあうことができ、ゴール後に握手をしました。

 午後7時、第5ステージはセーヌ河の河川敷を走る13・7㎞レース。脚の筋肉痛は限界で歩くのも辛くパンパンの状態ですが、なぜかピストルの音ともに走っている自分がいました。57分18秒で完走して年代別で4位に後退しました。

 膝も痛くなり、次の朝に脚が動くのか不安でした。フランスまで来たからにはここで止まるわけにはいかないし、何が起こるかわからないのがスポーツなので微かな望みをもって、宿舎で翌日に備えワインを飲んで楽しんでいました。

国籍を超えて家族になったような4日間

 いよいよ最終レース。午後3時、小雨の中21・1㎞の第6ステージがスタートしました。正直、歩くのもやっとこさだったので、とにかく完走することを優先に走りました。アップダウンの多いコースでしたが、それなりに頑張り1時間35分でゴール。175番の選手は1時間31分で、総合タイムで3分ほど差をつけられ4位でした。55歳としてはよくがんばった気持ちと、次回は175番に勝ちたいという気持ちの自分がいました。

 毎回スタート時には、外国選手同士、親指を立て、「グッドラック」と言葉をかけあい励まし合っていました。毎回の食事は、「これが本場のフランス料理なんだ」と感心しつつ、やっぱり日本食が一番美味しいと再確認しました。

 11日の第6ステージ終了後、表彰式がおこなわれ、日本チームを代表して、東日本大震災で、フランス、FSGTの皆さんに支援していただいたお礼と今大会でお世話になった役員、ボランティアの皆さんへの感謝を述べました。

 午後8時から、4日間このレースを戦ったランナー、支えてくれたスタッフと共に、夜が明けるまで踊り続けるという「第7ステージ」(打上げ)が行われます。身も心も解放され、各国代表団によるかくし芸大会では、「上を向いて歩こう」をモロッコの選手にも教え、一緒に歌いました。アンコールはなかったのですが、私は「オーシャンゼリゼ」を歌い、会場を盛り上げることができました。でも、疲れた身体は正直で、全身が痛くて、踊りたくても踊れないもどかしさを感じながら、一夜を明かすつもりでしたが、午前1時に宿舎へ戻りました。

 国や人種も異なり、言葉も、ちんぷんかんぷんでしたが、家族になったような4日間でした。また機会があれば参加したいと強く感じました。

ランニング・陸上の連盟NEWS



最新号 2013年7-8月号
No.459
ツール・ド・ペイ・ド・コー体験記/バランスクロールを体験しよう/山筋ゴーゴー体操/福島事故と原子力の今後/ウォーキング日本縦断「千葉 利根運河と谷津の自然」
ボランティア 編集スタッフ大募集
「スポーツのひろば」では企画立案、取材、原稿執筆などに協力してくださる方を探しています。未経験の方も大歓迎! いろいろなことに挑戦してみたいという人を募集します。


Copyright (c) New Japan Sports Federation. All rights reserved.