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2009年7月26日、午前9時30分から青森市平和公園にて30人の参加で取り組みました。開会式は、青森県連盟事務局次長の畑中孝之さんが司会・進行し、最初に青森県平和委員会事務局長の大宮慶作さんが「平和が一番」と挨拶。続いて広島、長崎、青森市長からのメッセージを、あおもり健康企画9条の会の宮元しのぶ、飯田えり子さんが代読すると参加者から「広島、長崎の市長さんからメッセージとはすごいね」との声があがり、拍手が起こりました。
青森県革新懇事務局長の小野勝男さんが被災者を偲んで黙祷。青森ランニング協議会指導員の釜萢勉から競技の説明、最後に民青青森地域班の辻和弘さんが選手を代表して「ノーモア広島、長崎、青森を心に刻みながら走ります」と宣誓して開会式が終わりました。
午前10時に号砲が鳴り、平和駅伝とウォークが一斉にスタートしました。駅伝は3チームが、1周700m×35周を走り抜きました。初参加の楽しく走ろう会が、2時間01分33秒の好タイムで優勝。中央大学駅伝部出身者が好走した全労働走友会は、2時間05分20秒で第2位。青森保健生協・新日本スポーツ連盟は、3位で2時間12分45秒でした。
ウォークは、気温25度、湿度90%の悪条件のなか、全員が7キロを完歩しました。他の行事、マラソン大会と重なり、昨年より1チーム少ない状況でしたが、青森市内では老舗の楽しく走ろう会が政治的な色彩のある駅伝に参加したことは、大変良かったと思います。
広島、長崎市長からメッセージが届いたことにより青森市長も初めてメッセージを寄せてくれました。平和駅伝は、戦後50年を節目に取り組まれ、今年で14年目となります。来年も続けていきたいと思います。
-------------------- 宣言文 --------------------
1945年8月15日-第2次世界大戦は日本の無条件降伏によって終焉しました。青森市が空襲をうけたのは、それに先立つ3週間前、7月28日の夜でした。B29など70機にのぼる米軍機から投下された焼夷弾の猛威は、一瞬のうちに街を焼き尽くし、多くの市民の尊い命を奪いました。損害は1945年8月 3日時点の調査で焼失家屋は15125戸、死亡732名、重軽傷282名(実際は数倍とされるが把握できない)、行方不明8名と発表されています。
わが国は国同士が憎み合い人を殺し合う暴挙を悟り、新しい憲法を制定しました。憲法は、戦争放棄の平和主義に徹したものであり世界に誇りうるものです。あれから64年、市民の痛苦の努力によって青森市は復興し再生しました。われわれは二度と戦禍を被らないためにも憲法を守り、われわれが直面した戦争を後世に語り継いでいかなければなりません。
青森市は、青森空襲によって犠牲になられた方への深い哀悼と平和への決意をこめて平和都市を宣言し、平和公園をつくりました。平和と憲法を希求してやまない私たちは、今年も平和駅伝・ウォークを開催し、青森空襲の被災者に思いをはせながら走り、歩きつないでいきます。市民のみなさん、一歩でも二歩でもともに平和の足跡を響かせていこうではありませんか。
2009年7月26日 7月26日 平和駅伝ウォークの集い実行委員会