各地の貴重な経験を交流~2013年反核・平和マラソン交流のつどい

 2013年8月5日夜、広島県立総合体育館小会議室で「2013年の反核・平和マラソン交流のつどい」が行われ、6都府県、4全国種目組織などから18名が参加しました。この「つどい」は、(1)各地の反核・平和マラソンの貴重な経験を交流し、(2)広島-長崎反核・平和マラソンに参加するランナー。スタッフを激励、(3)県連盟結成を目指す地元を励ますと同時に、直後に行われる「韓国平和マラソン」成功へのタスキをつなぐ事を目的に開催されました。
 開会にあたって、スポーツ連盟の石川正三副理事長が「各地で反核平和マラソンが取り組まれ、6日には広島-長崎反核・平和マラソンが出発し、広島城でも行われます。今年も核兵器廃絶にむけた暑い夏を迎えています。被爆68年、使用を前提にした核兵器の容認する核抑止論が続いている。こうした中で私たちが、人類を破滅に導く残虐兵器である核兵器の廃絶をアピールする取り組みとして取り組んできました。次に向けて交流しましょう」と主催者あいさつをしました。
 その後、4日の「西日本での組織拡大をめざす交流会議」にも参加した広島県連盟準備会事務局長の嵜隆秀さんが「スポーツ基本法ができて、県連盟を具体化したいと6月に準備会を開いた。反核・平和マラソンは平和市長会議や日本非核宣言自治体協議会からも後援を得る取り組みなのかと、広島でも開かれていたが知らなかった。お手伝いしますとつながり、全国の皆さんの援助をいただいて県連盟につながった」と地元を代表してあいさつ。
 来賓からは、日本共産党の中原洋美広島市議から「反核平和の取り組みは世界を広げる第一歩になる。これまで、みなさんが走っていることが頭の上を通り過ぎるようだった。ウォーキングクラブ作りのなど、素朴な運動でつながっていけるのは素晴らしいことと思う」と発言。同じく辻恒雄県議から「ウォーキング協議会を作りたいとのお話があって動き始めた。どういう経験をされているのか聞かせていただいて、考えていきたい」とあいさつがありました。
 
 各地の参加者からは、次のような発言がありました。
 「東西南北から代々木公園に集合する4コースで実施。約100名になった。各コースでは地域連盟がランナーのサポートなど、何らかの形でかかわる取り組みになった。区長メッセージが広がった。さらに今年は、多摩地域で横田基地めぐりウォーキングを取り組んだ。念願の多摩地域での「反核・平和マラソン実施」に向けて大きな前進になった」(東京)
 「ランナー93名、運営・サポーター含めて151名の取り組みとなった。横須賀は原子力空母があり、座間には米軍基地がある。京都からの参加も有り、猛暑の中だったが事故なく終えられた。全ての自治体から何らかの支援があり、冷たい飲み物も用意してもらった。箱根町では町長から長文の心温まるメッセージをいただいた。労働組合、他種目の応援もあり成功した」(神奈川)
 「当初、関西網の目平和マラソンは、二条城から大阪城だったが、2002年から府内のコースにした。2009年にオバマ大統領がプラハで「核兵器廃絶をめざす」との発言。NPT再検討会議、原発事故などあったが、参加者は減ってきていた。昨年「生温いのとちゃうか」と話し合いになり、今回から大会名に「反原発」を加え、参加者が今年は45名(昨年より10名増)となった。新聞社、テレビ局の取材もあった。来年以降に希望が持てるかなと思う」(京都)
 「7月の第一日曜日にランナー169名、38名のサポーター、10コースから大阪城をめざすコースでたいへんな猛暑の中、実施。26府市町からメッセージ、協賛を受けた。「原発ゼロ」を行事名に入れたら後援・協賛が減ったが、申し入れをした。実行委員会も関係者全員が参加して準備してきた。ランネットから10数名が申込んでくるなど、参加者は減っていない。これらの取り組みで、奈良県との関係もできてきた」(大阪)
 「今年の反核平和マラソン(5/12、26)は、必要な時期に取り組みが弱く、参加者が減った。毎年のこのとりくみの中で、高野町の副町長さん(ランナー)が連盟に入ってくれた。平和大好きウォーク&マラソン大会を7月7日(和歌山市大空襲の日)に開催した。高石ともやさんが「タイムも着順もとらない。走りを文化として発展させている取り組み」と紹介。スターターを行いコンサートも開催した。24回目だが和歌山放送で2回放送され、和歌山市からも取材を受けた。戦争資料館作りや被爆者の生存者も少なくなってきているので、老人クラブともつながりを作るなど、展望がある」(和歌山)
 「神奈川県では2005年から全ての自治体(34自治体)からなんらかの協力(後援・市長メッセージ・激励等)が得られるようになった。その背景には神奈川県の全自治体が「非核宣言自治体協議会」に加盟しているということがある。「平和市長会議」には26自治体が加盟している。そういう状況もみながら、はたらきかけていきましょう。また、反核・平和マラソンに「原発ゼロ・原発なくせ」を掲げるかどうかは、その実行委員会で討議し決めるべき問題。「核兵器廃絶」と「原発なくせ」の運動は、「核の被害をなくせ」「核廃絶」という点で一致しています。この一致点を尊重して連帯し、互いに大いに運動を広げてゆくことが大事だと思います」(神奈川)
 「広島-長崎反核・平和マラソンの起こりは、モスクワオリンピックへのボイコットに政府が介入したことへの抗議として「福岡-長崎」を走ったのが最初。長崎に原爆が落ちたのは、小倉に落とす予定だったが小倉空襲の煙で目標物が確認できずに長崎に落としたため。小倉から走ろうとなった時に、その話を聞いた広島市職労の方から「広島から走ろう」となり、4回目から「広島-長崎」になった。私は30年間走っている。体もきつくなってきた。やめてしまえば楽になるが、やめたらそれで終わりだ。継続してこそ価値がある。組織形態も労組依存から変えなければならない状況にある。明日から3日間、1日150kmだが、頑張って走ります」(福岡)
  「この8月、韓国でフォーラムと平和マラソンが行われ、日本から私を含めて8名が参加します。12日にフォーラム、13日から3日間、1日100kmを走る内容。フォーラムでは、板橋地域連盟の活動の経験、各地の反核・平和マラソンを紹介していきたい。そしてタスキをつなげたい」(東京)
 最後に石川副理事長が「反核・平和マラソンは全国20都府県以上に広がり、各地のみなさんの創意的な活動によって今日まで発展してきました。2015年には新日本スポーツ連盟創立50周年を迎え、それを記念する意味を含めて『被爆70年東京~広島~長崎反核・平和マラソン』を計画しています。明日の『ヒロシマ平和マラソン&ウォーキング大会』と、明日からの『第31回広島~長崎反核・平和マラソン』を成功させましょう」とまとめを行い、東京からアコーディオンを持って参加した萩原さんの演奏で「青い空は」を全員で歌い、記念写真を撮り、終了しました。