空手に先手なし 平和の武少林寺流空手道研究会の活動
今年11月に沖縄空手会館で開催される「第35回全国スポーツ祭典 第2回沖縄空手演武大会」の実行委員会の中心的な団体、少林寺流空手道研究会の活動を紹介します。(少林寺流空手道研究会本部 機関紙「絆」より抜粋)
みんなが生き生き
参加者全員が主人公の演武会
岡山30周年記念・
西日本合同演武会
2023年10月24日、岡山市旭東小学校体育館において岡山道場30周年・西日本合同演武会が開催されました。4歳から79歳までの56名の参加者が少林寺流の型や沖縄古武道の演武、板や瓦の試し割など日ごろの修業の成果を存分に発揮した演武会となりました。
今回は、4府県からの「参加者全員が主人公」を演武会運営の軸としました。西日本での4年ぶりの合同演武会「色帯にとって良い経験になった」「参加者が前向きになった」「今後の課題が見えた」といった感想が届いています。
参加者全員に敢闘賞とメダル
第6回東日本大会
2023年10月7日、多摩市立連光寺小学校の体育館で「東日本大会」を開催しました。開会のあいさつで、澤口幸人会長は「コロナのために各都道府県・各道場は運営に困難を伴いながらも、3年半で、級位免状登録が342人、段位免状登録が107人」と全国の奮闘ぶりを紹介しました。
講習会は、午後の型試合に向けて講習を受ける人が多く、真剣に受講していました。午後は、後藤嘉範実行委員長のあいさつで「第6回東日本大会・型試合」を開始。大勢の前で演武するのは緊張します。みんな日頃の練習の成果を出し切って大会に臨みました。この日は、入賞者の表彰とともに、試合の参加者全員が、「敢闘賞」の賞状とメダルをもらい大切な思い出になりました。
宮脇先生の演武がテレビ放映!!
岩手・新春演武会
岩手では、盛岡市立武道館で2年に一度開催されている「新春演武会」に6名が参加しました。この武道館を利用しているすべての団体の交流会ともなっていて、私たちは宮脇善雄先生による沖縄空手の解説と共に、基本の定置練習、普及型Iとアーナンクーの2つの型、最後に「徳嶺の棍」「浜比嘉のサイ」の演武をしました。
宮脇先生は、櫂を使って「徳嶺の棍」を演武し、参加者の中で最高齢だったこともあり、取材に訪れていたテレビ各局で大きく取り上げられ注目を集めました。(岩手県本部・長内潤子)
空手道とは人の道を形成する武道
空手道の道とは、人として、どう生きるかという、人の道を形成する武道だと考えます。
まずは、挨拶できるようになること。師範、先輩、後輩への挨拶はもちろんのこと、道場出入りでの挨拶、礼儀と礼節を学び、集中して稽古に臨む姿勢を覚え、すべてのことに、感謝できるようになることです。
定位置基本稽古、これ一番大事な稽古と思います。ゆっくり動作で、かたち軌道、動かし方を覚え、力入れて、10本や20本、ある時は、100本など、腰を入れ全身を使う動きを稽古する。そう簡単ではないので何年も何十年も繰り返し稽古し少しずつ本物に近づいていくものだと思います。
昨日の自分より少し強くなった、少し上手くなったで良いと思います。同じことの繰り返しの稽古ですが、ここで楷書のかたちができてないと、移動稽古や型をやってもサマになりません。形になってくると力の入れ方がわかり、一本一本力が入り、もっと早く、もっと強く、もっと綺麗にと、しんどいことを続けることで、変わった自分に驚き、自信がついて、毎週体を動かして汗をかかないと?と、思うようになります。
道場生のレベルに合わせて、約束組手、 自由と、段階的に稽古し、突かれた、蹴られたら痛い、攻撃側も痛い、しんどいを経験することが、「暴力はダメだ」とわかり、さらに自己を高めるようになると思います。
(兵庫県・名口謙一)
少林寺流空手と私
私が、少林寺流空手に出会ったのは、2016年に長男が小学校に上がり、「空手を習いたい」と言ったことがきっかけでした。近所の三篠公民館で、ヒロシマ命宝会・三篠教室が空手を教えていると知り、親子で見学に行くと、即体験入部となり、ミット打ちと回し蹴りをさせてもらいました。そのまま親子で会員申込をし、あれから7年経過、今では三篠教室の副会長として親友会員たちの指導もしております。
入会して割と早期に小説「チャンミーグヮー」を読みました。 私自身、少林寺流空手の源流である喜屋武朝徳先生の8つの「型」の伝承とその背景(琉球王朝や「手」の継承)について、この本から多くを学んだものです。昔は「野死合い」というか、道端で急に「決闘」「果し合い」になることもあったそうですが、それが即「死」に直結するから「死合い」と記述されていた記憶があります。現代では「死合い」は当然に許されるものではありませんが?。
少林寺流空手の教えとして「空手に先手なし」、「攻防の形(技)は相手の出方を見てから発する。即ち空手に先手なしの所以である」と習いました。自分から攻撃を仕掛けていくのではなく、あくまでも自己防衛の手段として戦うのですが、時には「活人拳」として、相手に身体的なダメージを与えるのではなく、精神的な苦痛を与え反省させる(圧倒的な実力差を見せつける)ことが寛容、とも教わりました。予期せぬ場面で急に暴漢に襲われることもある昨今、新入会員に小説『チャンミーグヮー』を勧め、先人たちの精神や「専守防衛の護身術」の教えも伝えながら、しかし、「活人拳」であることも意識し、 改めて自分自身もその意味を噛みしめて、今以上に精進したいと思います。
(ヒロシマ命宝会・西村直樹)