「チームを応援するのではなく、 応援歌を歌うことが目的になっている」 あるスポーツライターがこう酷評したという。 2007 年12 月に行なわれたFIFA クラブワールドカップの準決勝 浦和レッズ対AC ミラン戦、試合は0-1で浦和が負けていた。 残り時間はあとわずか。だが、浦和サポーターの応援は 0-0の前半と変わらなかった。これに異議を唱えたのだ。 「試合の空気を読んでほしい」。そう彼は指摘した。

強豪国に存在する環境
 ブラジルは言わずと知れたサッカー王国だ。なぜブラジルは強いのか。それについて、日本サッカーのご意見番・セルジオ越後氏は自らの経験を踏まえ、次のように語っている。「敗者に甘すぎる」と。

 ブラジルはどの国よりも、サッカーが生活の中心にある。子どもから大人まで。皆サッカーをプレイし、見て、語り合う。たとえ草サッカーであれ、1つの判定ミスに野次馬まで入ってくる。「おまえの判定は間違えだらけだ。俺に笛を寄越せ!」と罵り合う。サッカー番組もほとんどが討論形式。「ベッカムの獲得は是か非か」「これは完全にオフサイドでしょう。判定ミスですね」。それが日常的に起こる。もしブラジル代表が試合に負けたら、母国を歩けなくなる。その重圧が選手を強くするのだ。

 たしかに、その環境は日本にまだない。日本サッカーが強くなるには厳しい世論が必要なのかもしれない。ミスは許されない。負けたら街を歩けない。そのプレッシャーが強豪国には存在する。皆、そのことを訴えているのだろう。どんなスポーツや勉強でも、向上はまず真似から始まる。日本も、欧州や南米の強豪を見習わなければならないのかもしれない。

 だが、ふがいない試合をしたら発炎筒が投下され、試合でPKを外せば銃弾が飛んでくる。いくら強くても、その状況はいかがなものだろうか。まあこれは極端な例であるが、それはスポーツの存在意義を逸脱している気がする。

ユーゴのPK拒否事件
 1990年、イビツァ・オシム氏率いる旧ユーゴスラビア代表はイタリアW杯予選を順調に勝ち進んだ。決勝リーグに進み、ベスト8をかけたスペイン戦。試合は90分で決着がつかず、PK戦へともつれ込んだ。ユーゴ側はサビチェビッチとプロシネチキの2人が蹴りたいと申し出た。しかし、それ以外の選手は全員スパイクを脱いでしまったのだ。ほとんどの選手は怯えていた。

 当時、ユーゴは崩壊が始まっていた。元々、いろいろな人種や言語、宗教が混在する国家であり、民族・宗教紛争が絶えなかった。このユーゴ代表にもボスニア人、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ムスリア人、モンテネグロ人と多種多様な選手が集まっていた。代表の試合にも政治的圧力がかかり、出場選手を誰にするかさえ、指揮官は頭を悩ませなければならなかった。サポーター同士の暴動も多発し、たとえば、クロアチア人選手がシュートをはずせば、セルビア人サポーターたちが騒ぎ立て、ボスニア人選手がミスすれば、モンテネグロ人サポーターらから非難が浴びせられる。そんな具合に、お互いが反目し合い、争いは続いた。

 自分のミスも、活躍でさえも、戦争の引き金を引いてしまうかもしれない。それが大切な家族の命にも影響を及ぼしかねない。それは不発弾を自らの手にかかえているような心理状況に等しい。 近年、Jリーグで大活躍したピクシーことドラガン・ストイコビッチ氏(現・名古屋グランパス監督)もこの中にいた。そのスタープレイヤーでさえ、蹴ることを躊躇した。それほど恐ろしいプレッシャーだった。ちなみに、ユーゴのPKキッカー5人のうち、蹴りたいと申し出た2人以外、シュートは決められなかったそうだ。

ユーゴのPK拒否事件
 スポーツとは本来、コミュニケーションの道具の1つである。言葉の通じない・人種も国も文化も異なる人々と、平和に暮らしていくための言語と言ってもいい。

 たしかに、勝利は巨万の富を与えてくれる。試合に勝てば人気もでるし、勝ち続ければファンも増える。W杯やチャンピオンズリーグに出るだけで、何百億・何千億もの金銭が動く。だが、勝つことだけに執着し、サポーター同士が殴り合うような試合は戦争と変わらないのではないか。

1km先まで届く歌
 2009年10月25日、さいたまスタジアム2002にて行なわれた浦和レッズ対大宮アルディージャ戦、結果は0―3で浦和が敗北した。ただレッズサポーターの熱い応援は変わることはなかった。0―0のときも後半のリードされている場面でも、温かい声援が選手へと注がれていた。小学生ぐらいの少年は「レッズがんばれー」と胸が張り裂けるぐらいの大声で叫び、ある夫婦は選手のゴールへ向かう姿勢に何度も手を叩いた。「We are REDS」は大地を震わせながら、スタジアム周辺に鳴り渡る。その応援は1km離れた浦和美園駅まで響いた。

 これだけの声援があれば、あとは選手自身の問題ではないか。そう感じた。

日本サッカーの終着駅
  日本サッカーの発展はサッカー先進国の技術を取り入れたことが大きい。1960年、日本代表コーチにドイツ人のデットマール・クラマー氏を呼んだ。クラマーは当時欠落していた基礎練習を徹底させた。また芝生のグラウンドを作り、国際試合の増加など、サッカー環境を向上させた。彼の力で日本は強くなったのは事実だ。 だが、強さだけを追い求める時代はもう終わったのだ。 (文=一柳英男)

[参考資料]
◆「日本サッカーと『世界基準』」 セルジオ越後著 祥伝社新書
◆「オシムの言葉」 木村元彦著 集英社インターナショナル
◆「目からウロコの民族・宗教紛争」 島崎晋著 PHP研究所

「スポーツのひろば」2010年1-2月号より


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