「スポーツの品格」というもの
2008年10月号
 品格ばやりである。女の品格、男の品格、△△の品格などなど昨今の風潮に便乗すれば、「スポーツの品格」をどのように考えるべきだろうか。そもそも「品格」の意味とは何なのか。『広辞苑』によれば、「(1)物のよしあしの程度 (2)品位、気品」とあった。英語名は「dignity」があてはまるのだろうが、日本語よりも荘厳な感じがする(私の勝手な思いこみかもしれないが)。

 折も折、「スポーツの品格」という記事が目に止まった(「日本経済新聞」2008年8月4日夕刊)。「勝つためには手段を選ばず、というのではスポーツも粗野な肉体の遊戯に逆戻りする。北京五輪をじっくり見守りたい。」その前段には「五輪種目や米大リーグにみられる薬物使用問題が影を落とす」との指摘があった。

 そして酷暑の夜、一つのテレビ放映に釘づけになった。塚田選手と石井選手の姿がそこにあった。柔道女子78kg超級で、アテネ五輪につづく二連覇を狙う塚田真希選手と、柔道男子100kg超級の初出場の石井慧選手である。塚田選手は中国の 文選手に惜しくも逆転負けをして銀メダル、石井選手はウズベキスタンのタングリエフ選手に勝って金メダルを手にした。

 たまたま目にした柔道の試合を特別視するわけではない。何の先入観も持たず、特別の知識も持たない観客を魅するもの、それは試合に没頭する選手の必死の形相ではないか。これこそが「スポーツの品格」の中枢をなすものだと思う。  戦うもの同士が渾身の力をふりしぼって相対峙する時、長い時間抱きつづけてきたチャレンジ精神を一気に爆発させるこの一瞬に観客は感動する。

 どんな成績になるにせよ、種目を問わず、しばらく北京五輪から目が離せない。チベット問題、グルジア紛争など、世界各地で生死に関わる事件が多発している今、たかがスポーツに国中が熱狂していいのかと思わないでもないけれど。 (岸佳子)


Copyright (c) 2008 New Japan Sports Federation. All rights reserved.